さよならAZ-1

ずーっと一緒だったAZ-1とサヨナラしました。
私の約半生を一緒に過ごした(といっても放置時間が超長いのですが)ので、なんだかんだ約20年ぐらい一緒にいました。

お世話になっているレーシングガレージ経由で見に来たAZ-1プロの方が購入してくれました。
PANDAも買ってくれたのですが、パンダは自分用で、AZ-1は保存会の要素があるので、しっかり修理してからの面接販売となるかと思います。
1年ぐらいかかるようですよ、こういった趣味の車は利益が出そうですが、相当に大変ですので心意気ですよね。

AZ-1ってなによっていう方は調べてもらえればと思いますが、MAZDAが作ったSUZUKIのパーツをふんだんに使ったガルウィングドアの軽自動車です。
当時の新車価格は165万円と2シーターで使いづらく高価だった為か4000台程度で生産終了された、日本車の中で超レアな車種になります。
現存する車両も半分以下と言われ、現在かなーーーり高価になっております。
今後も値落ちする事は無いでしょうから、引き取っていただいた方にもご迷惑はかからないんじゃなかろうかと思います、走り出すまでにすごく大変なさぎょうだとは思いますが。

私が半年で大学を辞めると決めて、なんだかんだあって、22歳で広告代理店にふら〜っと入れてもらって1年しないぐらいで購入したんじゃなかったかなと。
町田の方にあるMAZDAディーラーの店長がAZ-1好きで集めている情報をキャッチして通っていたら、2万キロ台の低走行事故車を当時でも安かった100万円のフルローンで購入した車両です。

自動車競技に興味が出てきた頃に手に入れたので、あっちこっちのジムカーナを素人なりに楽しみながら走りました。
いまは新しくなって消えてしまった富士スピードウェイのジムカーナ場で雨のなかスピンしてみたり、筑波サーキットのジムカーナ場、茨城中央サーキット、今はなき平塚青果市場などなど、ちっちゃい車で楽しめた良き思い出です。

といってもタイヤをガンガン使って、タイヤ捨てたり交換する事も一切なく、数年で車検代が出せずに留め置いていた時期のすごーく長い可愛そうなAZ-1でした。
シティカブリオレのピンクとAZ-1の2台体制だった黄金期?!もあったんですけどね、お金には限りがありますから・・・。

絶対に復活させようと思っていましたが、1人目の子供が産まれ、S660が発売されて浮気心が出たりとAZ-1への諦めがチラホラ出てきて、もうすぐ2人目が産まれるし、もうこの広い土地を離れると決めたので、手放す決意を固めたという訳です。
土地がなければ置いておけませんから、良いタイミングで引き取っていただけたと感謝しています。

このAZ-1のおかげで、色々な車の好きな方に沢山出会い、車検など自分でできることの幅をめいいっぱいに広げてもらいました。

AZ-1は正直とてもバランスが悪く、ボディーの強度も圧倒的に不足しており、非常に繊細な操作を要求される車だけに、前後の荷重移動やタイヤへの圧のかけかたなど色々と考えて走るようになりました。

20代の若さでAZ-1を乗り回せたのは、ラッキーだったと思います。
余談ですが妻も一緒になってあちこち一緒になってジムカーナ場で全開走行してましたね。

そんな夢物語も終わり、新たなオーナーの元に行くべく引き取られていきましたが、正直部品取りでも構わないと思っています。

そんなこんなで、私の元からAZ-1はいなくなりました。
ですが、さっさと次のステップへ踏み出しました。
日常プラス非日常、公道のドライブからサーキットまで。
新しい話しはまた次回にでも。

色々とありますが、人生は楽しんでナンボだと思っていますので、10年以上じっと我慢ガマンでやってきましたが爺になる前に自動車競技に戻るように準備中です。

それではまた。
ヤナギG